屍鬼:4

滲み込む様に五人の姿が廃屋に消える。

全員がその成り行きを見守っていたが、フヘドはふっと、暗さを増す草原に視線を移した。
つい今しがた人影草の絡み合う影かと判じかねたものが、今やはっきりと人の形であるのが判った。
フヘド隊長に報せるべく口を開きかけたが、口の中が乾き切っているのに気付いた。隊長、と声に出した心算が、何かしわがれた呻きの様な音でしかなかった事にフヘドは動揺した。フヘドの視線が背後の草原に戻ろうとした時、先程とは違う地点で何かに引っ掛かった。
黒い人影だ。背後の人影よりも近かった。
フヘドの混乱した視線が四方を泳いだ。囲まれている。フヘドは頭にカッと血が昇るのを感じた。あれ避難した住民じゃない。あれは、揺れている。揺れながら近付いて来る。歩くのが酷くヘタクソに見える。
枯れた声で隊長を呼んだ。自分の声には聴こえなかった。
隊長が、訝しそうにフヘドを振り向く。何事か?と云う表情に変化した時、絶叫が聴こえた。
そして悲鳴が続く。何度も。
隊長のした方を見遣る。
暗い、影絵の様な廃屋を。
二、三人がまろび出て来る。つんのめり、腰が砕け、彼らは仲間の所に逃げ帰って来た。兜の外れた者、右半身にべっとりと血糊の飛沫いた者、皆一様に蒼白に引き攣った顔になっている。
「隊長、死人が…。」
死人が襲って来た、と切れ切れに訴える。
二人、やられた。隊長は硬い表情で、それを聴いていた。嘘や勘違いではなさそうだった。
「隊長!」
フヘドは叫んだ。
「隊長、囲まれてます!あれは、あれは…c。」
隊長が素早く周囲を見廻す。隊員達もてんでに四方に視線を泳がせる。
暗闇から人型の影が染み出して来ていた。
完全に包囲されている事は、フヘドならずとも容易に判断出来た。

その内の一体が、焚き火に照らされた範囲に姿を現した。
死んでいる者だった。衣服は綻びている。いや肉体も綻びている。腹が抜けて、腸が垂れ下がっている。眼は白濁し、口は緊張感を失ってだらしなく開いている。口を開けていると言うよりは、顎が垂れ下がった様に見えた。そして、腐臭が一気に鼻腔を満たす。
野晒しの犬の死骸の臭いだ。生ゴミを埋める穴の臭いだ。
そこにゆらゆらと歩み出たのは、正しくであった。
団員達は正確な判断力を失った。
先輩団員の中で最も線の細いタヒアは棒立ちのまま凍りついていた。そのタヒアの横合いから両手を前に突き出した死人が掴み掛かった。ひゅっと乾いた音がタヒアの口から漏れた。悲鳴だったに違いない。死人タヒアの頬から上唇にかけてを喰いちぎった。
巡回部隊の両雄であるヘルツィフホルスは反応が早かった。それぞれが得意の武器を構えて死人に攻撃を仕掛けた。
ヘルツィフは隊支給の直刀ではなく、大きく湾曲した細身の剣だった。死人に袈裟懸けに斬り付け、さらに腹部に突きを入れる。しかし、生命感の無い、ズタ袋の様な手応えにヘルツィフは怯んだ表情を見せた。ヘルツィフの右肩が横合いから接近して来ていた死人に掴れた。一閃、その腕を斬り飛ばしたヘルツィフに今度は正面から最初の死人が掴み掛かる。を握った拳でその顔を殴り付けるヘルツィフに片腕の無い死人が再び掴み掛かる。さらにもう一体が。数体の死人の黒い影に剣士の姿が紛れて行く。
ホルスは最初の一突きが死人に効力の無いのを知るや、後はを振り回して打撃を加える事に専念した。ホルスの太いの柄が風を切って鈍い音が続く。
少なくとも歩く死者の群れに対して、某かの攻撃行動を取ったのはヘルツィフホルスだけだったようにフヘドには思えた。他の隊員はただただ怯え、或いは呆然として、死人に襲われていた。

hand.jpg


隊長はおそらく巡回部隊の中では最も冷静であったと思われる。
廃屋から逃げ帰った隊員に、何事かを確認している様だったが、知りたい情報を得るや、廃屋に逃げ込む様命令を発した。何人かはその声を聴いて廃屋に走った。
フヘド廃屋が安全に思われて、駆け出そうとした。
瞬間、腐臭が一際強く鼻腔を衝いた。
死人が視界の中に唐突に入って来た。数歩の距離である。武器は効かないと思った。背後に死人の発する複数の足音が有った。
は、素早く屈むと焚き火に手を伸ばして、火の点いた薪を手に取るや、これを振り回した。表情の無い死人が僅かにたじろいだ様に見えた。
フヘド廃屋に向おうとして、凍りついた。隊員達を追って、死人の群れフヘド廃屋の間を塞ぎつつある。

彼は取り残された。

胴震いがした。

風に靡いた薪の炎がはためく様な音を立てた。


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posted by リューグハルト at 2006年03月13日19:42 | Comment(7) | TrackBack(0) | 外伝

屍鬼:3

陽射しの傾きつつある屋外と比較しても、屋内の陰惨な暗さは格別だった。

一歩踏み込んだ時点で、嫌な気分が凝縮されて来る。
これは、臭いだ。この臭いが胸を悪くさせているのだ、と気付いた。
どこで嗅いだ臭いだったろう。
太った中年のオヤジの顔がちらつく。あれは、ガハイだ。
陰険で体型に似合わぬ高い声が変に耳障りな…。肉屋ガハイ
何でガハイの顔なんかを思い出すんだろうと思った瞬間、
フヘドヘルツィフの背中に顔をぶつけた。
ヘルツィフの硬い背中を感じた途端に、どじな自分の姿を自覚して、
羞恥心が一気に膨れ上がる。
何か軽く自然に自分の失態を詫びなければと、後ずさる。
眼の前にヘルツィフが棒の様に突っ立っている。
足元に、赤黒い水溜りが見えた。
ガハイの前掛けの汚れみたいだ。
身体をずらして室内の様子が判った。
血の海だった。思わず胃液が込み上げる。
酷い荒れ様で、しかも床板がガタガタだった。
大きく波打って、ばら撒いた様に乱れて居る。
そして、その上から、赤褐色の塗料がぶちまけられていた。
人は居ない。
人であった物がそこここに転がっていた。
フヘドの眼が、人の足首に吸い寄せられた。足首だけを見るのは初めてだった。
他の部分の無い足首は、忌まわしいものだった。切り口に覗いた骨がやけに白い。
手の指も数本散らばっている。どの部分か判らない、肉片も散らばっていた。
フヘドは堪らず家外に走り出た。家を囲む貧弱な柵に走り寄って吐いた。

涙が止まらなかった。

blackhouse.jpg


眼の前の焚き火を、フヘドはじっと見詰めていた。
火にかけられた鍋で何かがグツグツ煮えていたが、食欲は起こらない。
むかつきだけが彼の胃を鷲掴みにしている。
周囲の風景は既に一日を終えようと、闇の色を濃くしている。依然として風が強い。

フヘドは自分も草の様に風に嬲られている気がしていた。耳を掠める風の音が、寄る辺無い心細さを増幅させている。
あれは一体どういう事なのだろう。あんな襲い方をするが居ただろうか。人を襲うは存在する。しかし、山犬獲物を骨ごと噛み砕いたりはしない。だろうか。トルゴイ草原で見た等と言う話は聴いた事が無い。いや、聴いた事の無い事態が起こったのだ。襲撃者聴いた事の無い存在に違いない。あの農家の住人は六人との事だったが、一人も発見されなかった。老爺にその息子夫婦、子供が3人・・・全員喰われたのか…。

団員達は言葉少なだった。野営する事になっても、飯時には陽気な会話が絶えないものだ。今日は違う。

どこかに逃げて隠れている事は無いだろうか。いや、逃げるなら集落の他の家に助けを求めるだろう。近隣住民から逃げる必要は無いのだ。いや、どうなのだろう……。

フヘドは暗い草原を眺めた。
人影が見えた。
ほんの僅かに草の海とその後ろの風景とを分けている燃え残りの明るさが、草波の向こうに人影を浮かび上がらせた気がした。
一人では無い。
錯覚だろうか。距離をおいて二つの人影が見える。
逃げた家族だろうか。
野営している場所のすぐ傍の朽ち掛けた廃屋の方で、小さな物音がしたような気がした。
ヘルツィフが剣の柄に手を掛けるのが見えた。
再び物音。
隊長が、煮込みの入った器を口元から放して、廃屋を見遣った。
それは微かな物音だった。不規則に、何かが擦れるような、軋むような。
風に吹かれた何かの動く音だろうか、夜走る小動物の立てる音だろうか。
しかし隊長の判断は早かった。
団員五名を廃屋に向わせたのだ。
顔触れは、いずれも場数を踏んだベテランばかりだったが、フヘドにはこの時の先輩達がやけに頼りなげに見えて仕方なかった。
辺りを警戒しながら、五人は廃屋に近寄って行った。

黒い影の様な家に、吸い込まれて行く様だった。

家に食われる者達の様にも見えた。


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posted by リューグハルト at 2006年03月10日03:30 | Comment(1) | TrackBack(0) | 外伝

屍鬼:2

トルゴイ自警団外周巡察部隊新入団員フヘド・エルールは、
興奮を隠し切れない面持ちだった。
自警団に入団して二ヶ月が過ぎようとしていたが、城外集落巡察は言ってみればのどかな遠乗りと何ら変わりの無いもので、が憧れる所の「勇敢」さを示す機会など微塵も有りはしなかった。それがフヘドには不満だったのだ。
だが今回の出動は違った。「事件」かもしれない。
死者が歩き回っていると言う。
その猟奇的な色彩はフヘドの少年めいた期待をいやましに膨らませた。

fhedo.jpg


馬に乗った隊長を先頭に、歩兵10人がトルゴイの城門を出たのは、遅い朝だった。
フヘドはこの城外の風景が好きだった。数年前まで友達と走り回って遊んだ風景だ。遠景に点々と見える寂しげな家々の輪郭が好きだった。そよぐ緑の草波が心地良かった。
自身は城内の生まれ育ちだったが、混み合った町よりも少し心細く閑散とした城外の風情を愛していた。
門を出て、馴染みの風景を眺めた時、出発前に感じていた高揚がわずかに冷めるのを感じた。それはどこか寂寞を感じさせる強い風の所為だったのか、鈍い暗灰色の空の所為だったのか。何かを遣り残したような、微妙にしくじった時のようなしこりが胸の奥に蟠っている気がした。
印象として言えば、城外集落―と言っても密集した集落の形態は取っていないが―には暗い緊張感が沈殿している様に思えた。
影が濃い。
季節は既に春になって暫く経つが、寒色の翳を そこここに感じる風景だった。
巡察隊は丹念な聞き込みをしながら、移動した。
得られる情報はどれも漠然としたものだった。
夜、見知らぬものが草原を歩いていた。離れた所に立ち尽くす人影を見た。深夜、外から壁を掻く音が絶えなかった。
そしてその子供染みたは町から離れるに連れて次第に団員達の胸の内に不安な塊として凝り始めた。
或る農家では、とうとう昨年病没した知り合いが半ば腐って歩いていたと言う話が出た。まがいの情報が目撃談と云う形に姿を変える薄気味の悪い感覚をフヘドは覚えた。

死者が、蘇る。
近辺で死者の蘇る場所と言えば、墓石の丘しかない。遠くなだらかに横たわる見慣れた丘陵が、フヘドの眼には既に忌むべき領域に見えている。
あの丘には昨年の秋、登った。
幼馴染の青年の葬式であった。それまでのフヘドに取って、はどこか遠い場所に在る陽炎のように不確かなものだった。が遠かったのは、それが老いに関係する物だと言う認識が有ったからだ。フヘドの参列した葬儀はことごとくが老人を送るものだった。年老いた先に在る筈のが、同年輩の友人の葬儀によって肌に触れるほどの距離で背後に立っているのを感じた。墓石の丘にその感覚を思い出させた。

自分を呼ぶ声に、はっと我に返る。これまでに参列した葬儀で見た、棺の中の様々な顔から、草原の風の中に意識が引き戻される。

一軒の城外集落の農家が眼の前に在った
集落の住民が数人、柵の外に立ち尽くしている。農家の屋根の上にが止まっている。カラスではなかった。しかしカラスに思えてならなかった。
隊長が馬から下りながら、部下に指図する声が聞こえている。

自分は、先輩二名と共に、その農家に入って行く事になっているようだ。
夢の中のように、視界が歪んでいる感覚がフヘドを襲う。何か凄く嫌な気分だ。これは何だろう、と自問していると農家が近付いて来る。
戸口だ。
先輩団員が、軋む戸を開けた。
もう一人の団員が、戸に身体を押し付けて開いたまま固定する。

先頭に立っている先輩はヘルツィフと言って、の使い手だった。城内の広場で行われる訓練で、その見事な剣捌きにいつも舌を巻いていた。
戸を押さえている先輩はホルスと言う名の大柄な男で、使いだった。やはりその強さで信頼されている腕利きだった。
ヘルツィフが細身のを抜いて、低く構えた。屋内に踏み込んだ。
ホルスフヘドを見遣って、顎で入れと促した。

黒い影の様な家の戸口が洞穴の様に見えた。黒々と口を開けた深い穴だ。
その屋内の暗さをフヘドは出来れば回避したかった。
ホルスが再び顎で促す。

いけない。
これ以上、臆した様子は見せられない。
自分は自警団の一員なのだ。
自警団は勇敢であらねばならない、とフヘドは自分に言い聞かせた。


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posted by リューグハルト at 2006年03月09日01:54 | Comment(1) | TrackBack(0) | 外伝

CU-CHULAINN THE LUSTER

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posted by リューグハルト at 2006年03月01日02:00 | Comment(11) | TrackBack(0) | 黒鯖画廊